カフカ

シャルドネ日和

 

「カフカさん、長旅お疲れ様でした。

気の利いたワインが揃ってますので、どうぞお好きなものを召し上がってください。」

 

 

昨晩は遅くまで飲んでいたこともあり、正直今はアルコールの気分ではないのだが、

その青年のエスコートがあまりに洗練されていたので、

言われるがままにカリフォルニアのシャルドネで乾杯をした。

 


 

カフカの日記

02. Mar. 2018/ ペナン島 The Wine Shop

 

 

時刻は14時。

 

 

おおよその読者諸君もご存知の通り

東南アジアの田舎町で、昼間に飲むワインというのは決して褒められたものではない

店内は蒸し暑く、ワインは生ぬるく、おまけに店員は無愛想と相場が決まっている。

 

 

しかし、この店の空調は、集中治療室のように完璧に調整されており、

華奢なグラスに注がれたワインは、どこにお嫁に出しても恥ずかしくないほど洗練されている。

さらに青年が話すユーモアは、上品で含みがないため店員の機嫌も上々だ。

 

 

また同席したミステリアスな女性は、私が語るさまざま下らない冗談に対して、

丁寧な冷笑から、適度に抑制された満足の笑みまで、

まるでゴルフクラブを選ぶように、14種類くらいの笑顔を使いこなしていた。

 

 

オークの樽香が効いたワインと、不思議なふたりに囲まれ、

まぎれもなくシャルドネ日和ですね」と笑みがこぼれた。

 


 

時刻は15時。

 

 

隣のロブスター屋は昼休憩に入ったようだが、

この店の主人(らしき男)は、そんなことは気にも止めずに

ただ寡黙に、プロシュートやチーズをショーケースに陳列している。

 

 

もちろん雑に並べるのではなく、等差数列のように秩序と対称性を守り、

客側から見えるチーズの断面にまで、哲学的な意味を持たせようとしているようだ。

 

 

彼のようなタイプの人間が、ゴルゴンゾーラの隣にミモレットを置くとき、

そこには、カマンベールでもウォッシュでもなく、

ミモレットでなければならない理由が、1ダースは用意されているのだ。

 

 

ミステリアスな彼女も、その航空整備士のような主人の仕事が気に入ったようで、

8番の “納得気な笑み” を浮かべていた。

 

 

穏やかな島で、一体どんな教育を受けたらこの手のワインショップが誕生するのか?

不思議で仕方ないが、私を最も驚かせたのは案内人の青年が

「実は海外はこれが2度目なんです」と静かに告白をしたことだった。

 

 

熟練を感じさせる段取りと、少年のような表情とのギャップで、

彼が、陰で行った壮大な努力が垣間見れた気がした。

 

 

軽めのシラーを舌の上で転がしながら、

この魅力的な青年が行った段取りを想像し、私はふと思った。

 

今後、この方にオファーを出されたら、

「ずわい蟹食べ放題付きバスツアー」でも快諾してしまいそうだ…

 


 

時刻は17時。

 

 

次の予定を開けておくべきだったと、私は深く反省していた。

 

 

しかし、時間が迫ってしまったので、「では、そろそろ」と腰を上げ、

テーブルの端に手を伸ばすと、伝票だけが朝靄のように姿を消していた。

 

 

どのタイミングで会計を済ませたのか?皆目見当も付かないが、

彼くらいの変態なら、この日のために

ラリー・ジェニングスのカードマジック入門」で訓練していても違和感はない。

 

 

念のため、種明かしを求めて彼女に目線を送ったが、2番の冷笑と共に黙殺された。

私は「やれやれ」とため息をついたが、ため息を付く価値もあった

 

 

もしもペナン島に、「最もスマートに会計を済ませるメンズ・コンテスト」があれば、

青年の部で彼は文句なしに一等だろう。

 

 

せめて、ご馳走になった礼を言おうと手を差し伸べた瞬間、爽やかな笑みとともに、

「目の前の通りに、タクシーが迎えに来ております。」と返された。

 

 

その口調は、「林檎は木から落ちます」とか

「梅雨にはよく雨が降ります」といったように、

周知の事実を口にするときのように実にさっぱりしていた。

 

 

そのようにして、終始、裏通りのワインショップで驚かされ続けた。

 


 

このふたり組から教わったひとつの重要な教訓は、

権利を主張する前に義務を果たす美しさは、人を惹きつけるということだ。

 

 

それは義務を果たす前に、権利を主張する大衆性とは真逆の価値観であり、

彼らは常に、見返りを求める前に、自分がどう貢献できるか?を考え、

何かをお願いをする前に、まず感謝の気持ちを伝えるのだ。

 

 

彼らの基準では、提案をした相手に、場所を決める煩わしさや

会計を負わせることは、万が一にもないということなのだろう。

 

 

なるほど、与えよさらば与えられん。ということか。

迷ったら北を目指せばいいんだ

もしも、バー・カウンターの隣に座った誰かが、

「学生の頃が一番楽しかったわ…」と口にしたのであれば、

私は少なからず悲しい気持ちになるだろう。

 

もちろん色々と事情はあるかもしれないが、

子どものころの “きみ” に、大人の君が負けを認めるのは寂しすぎる。

 


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