あぁコオロギが食べたい。
甘く煮詰めた蜂の子が食べたい。
タガメのお腹を思い切り縦に開いて、フェロモンを吸い込みたい・・・!
突然気でも狂ったかと思われそうなので、先に自己紹介をさせて欲しい。
名前は佐藤 若菜(さとうわかな)。
私は普段小さな港町でのんびり暮らしているのだが、
4年前にひょんな事をきっかけにeach Brandというプライベートサロンに出会い大きな衝撃を受け、
現在はコミュニティのプランナーとして活動している。
今回昆虫食について筆を取らせてもらったのだが、
「デメリット」・「気持ち悪い」なんていうのはもう古い話ですと声を大にして言いたい。
昆虫を食べてから既に日数が経っているにも関わらず、
あの体験が未だに鮮明に思い出される。
これからお届けする未知との遭遇記は、
日々私を取り巻く「嫌悪」という感情について深く考えさせられたものだった。
まずは嫌悪ということについて少し一緒に考える時間を持ちたい。
嫌悪感と対峙するということ
気持ち良く、快適に、コンフォータブルで、適温。
私がいつも身を置きたい場所である。
そこからは真逆にあり、嫌悪という感情は限りなく触れたくは無い。
触れたくは無いし、それについてはあまり考えるものでは無いと思ってきた。
しかし、一人の賢人と再会したことをきっかけにコンフォートゾーンからの脱却について深く考えさせられるようになる。
さて。
そもそも私はどれだけ「嫌悪」という感情と向き合って来ただろう?
その前に、向き合うという事を積極的にしてきていただろうか?
「嫌悪」の源泉は何か、その正体をちゃんと考えたことがあっただろうか?
正体も分からずに嫌悪を感じているということは、自分が感じているあらゆる嫌悪と真正面からぶつかっていなかったのでは無いか?
そんな事を悶々と考えていた矢先、コンテンツクリエイター兼each Brand代表のカフカさんから
「昆虫を食べませんか」
とお誘い頂いた。
一瞬怯み、「カフカさん気でも触れたのですか」と頭の中をハテナマークが飛び交ったのはここだけの話にして欲しい。
視覚的にも分かりやすい嫌悪の代表、「虫」。
おおよその人が「虫を食べませんか」と声を掛けられても即答できないだろう。
イナゴの佃煮や蜂の子などは道の駅などでもよく見かける代物だが、
興味本位で手に取るくらいで積極的に買おうと思ったことは正直言うと無い。
だが、今回は私が想像するゲテモノな昆虫とは一線を画すものだという。
22年間昆虫を食べ続けた若きオーナーが営む昆虫食のレストラン
話を聞くと、お店のオーナーは幼少の頃から虫を食べることを好んでいたという。
10代の終わりまで人知れず昆虫を食べてきたが、FAO(国連食料農業機関)が発表したレポートを読んでやっと周囲にカミングアウトできたらしい。
只者ではない予感がぷんぷんする。
オーナーに会って直接話が聞きたい。
絶対価値観の変革が起こる!と確信したので、京大卒のエリート2人と共にお供させて頂いた。
エンタテイメントとしての昆虫食
真っ白の外壁に掛けられた慎ましやかなお店のプレート。
殆ど加工されていない無垢の木材を利用した重厚な扉のハンドルをゆっくり押し開ける。
まさかここで昆虫食が提供されているとは誰も思わないと思う程、その空間はこじんまりとしていた。
場所は東京・日本橋。
カウンター席13席だけの小さなお店、「ANTCICADA」は冒険心と野心、そしてエンタテインメントに溢れていた!
「虫」が持っているゲテモノや害虫などネガティブなイメージ、
そんな価値観はもう今日でおしまいですよと先に言われたような雰囲気の店内だ。
未来のタンパク源として期待されている昆虫を食材としての魅力と真正面から向き合い、その過程をこれでもかという程体験させてくださった。
昆虫たちと料理そのものに対して敬愛と慈愛に満ちていた。
食材の背景やストーリーなどを含めて、一つ一つのお料理の説明が丁寧で且つエンタテイメント。
体長10センチほどある大きな女王蜂や、カラカラに乾燥しきったコオロギ実物そのものを目の前で見せてくださり、
虫を食用として加工する過程を惜しみ無く共有してくださった。
料理の説明も全く飽きさせない努力の痕跡も随所に見受けられた。
京大卒・元メガバンカーで現在は旅人として国内を飛び回っている友人と顔を見合わせ目を丸くしていたところ、
「これから皆さんにはセミの気持ちを味わって頂きます」と、シェフ。
作家さんと共同開発したという奇妙な置き物が目の前に出され、思わず変な声が出てしまった。
どのようにセミの気持ちを味わうのかは是非実際に体験するのがベストだが、
知っている単語をいくら並べてもあの経験を言葉に変換するのは難しい。
そのほか驚くべきはアルコール・ノンアルコールドリンクと昆虫食とのペアリングの良さである。
私はアルコールアレルギーなのでお酒は頂かないのだが、
ノンアルコールでここまで楽しませてくれたお店は初めてだった。
どの虫とどのドリンクが合うのか徹底的に研究され尽くされていた。
特に感激したのは、ドリンク担当の山口さんがご自身で蒸留されたというノンアルコールのジン。
そこに、冒頭触れたタガメのフェロモンが加えられ、得も言われぬ豊かな香りと飲みごたえを味わうことができた。
さらっと「タガメのフェロモン」と記したが、オスが求愛時に発するというフェロモン、これが日向で洋梨を追熟させたようなとんでもなく良い香りなのだ。
私がタガメのメスだったら間違いなく恋に落ちてしまうだろう。
シメに出てきたのはANTCICADAでも一番有名なコオロギラーメン【グロ注意】。
昆虫食が最大に拒まれる原因の、「見た目」を徹底的に排除し、
丁寧にサーブされてきた料理から一転、最後のシメだけはそのものズバリのコオロギがトッピングされていた。
でも、既に私たちは何十匹もの昆虫を食している。
虫を食べるというハードルを全く感じない。
コオロギそのものを「干しエビ」くらいの勢いで美味しく頂いた。
その後、昆虫スイーツに悶絶し、暖かい昆虫茶を頂き、恵比須顔になったのは言うまでもない。
私たちは子どものようにはしゃぎ、
五感以上の五感を使って地球を楽しんだと思う。
その晩私は総数200匹以上の昆虫を胃に収めた訳だが、
たくさんの命を頂いて自分の血肉となった。
今も尚、昆虫たちに生かされている。
お店を出た後は暗がりの秘密基地を出たような爽快な気分だった。
あの場にいた全員と大きな秘密を共有できたような感覚だ。
世界的アーティストのライブを全身で味わったように全てが素晴らしく心地よく、
口から出た感想は「楽しかった」。
そして、
「美味しかった」。
嫌悪との対峙、そして
さて、冒頭の通り。
嫌悪との対峙だ。
結論から言うと、嫌悪とはただの思い込みに過ぎないという所に行き着く。
今回は昆虫という見た目の嫌悪、
作られたイメージによる嫌悪と完全に向き合った訳だが、
カラカラに乾燥されたコオロギは、
粉砕したものに至っては口に拡がるのは煮干しのような豊かな風味であった。
桜の木に生息している毛虫の糞から作られたお茶は、
桜の樹の香りがふわりと鼻から抜けて、目を丸くしながら頂いた。
ホワイトリカーに漬け込まれたコガネムシは、
熟した桃のような甘い香りで芳醇、我々を驚愕させた。
私たちは今後、日常に溢れる嫌悪とどう対峙するのか。
嫌悪と対峙するには細かな分析を忘れてはならない事に気付かされた。
そもそも何に嫌悪を感じるのか?
どこからくる嫌悪なのか?
他の切り口であればどう感じるのか?
自問しながら一つ一つ考えていくと、前述の通り案外思い込みだけで作られている事に気付くだろう。
もちろん積極的に嫌なことをしようという訳では無いが、
向き合った結果見えてくる世界があり、それは想像以上に透明度が高いのかもしれない。
細かく丁寧に向き合う過程こそ何か重要なヒントが隠されていると思いたい。
次はどんな嫌悪と向き合おうか。
その思考のプロセスごと楽しんでみようと思う。
その他、こんな体験もしました!
上野の自販機でコレ買い占めた元メガバンカーのそうさま@So_sama__ ほんとやばい
お土産に私はSago Woms頂きました! pic.twitter.com/vLu9Hl3nIf
— (@wakanasato__) February 9, 2021
Twitterからも非日常体験をシェアして行きます^^
コメント
若菜さん、記事を拝読しました。
嫌悪と向き合う事について、とてもわかりやすく、且つ楽しく読ませていただきました。
「嫌悪は思い込み」という部分を読んで、以前母から「あなたの好き嫌いはただの食わず嫌いだ」と言われた事を思い出しました。
嫌悪しているのは未知だからであって、実際に体験してみると嫌悪している理由はなくなったりするな、と思い返す事ができました。
ありがとうございます。
若菜さん
再度記事を拝読させていただきました。
ここ数日、“苦手”というテーマに出くわすことが多くあり、この記事のテーマである、嫌悪について読んだときに素朴に「嫌悪と苦手の違いって何だろう?」と疑問が浮かびました。
私は人前で話すことが苦手ですが、嫌いかと言われるとそこまでではなかったり話すことも好きなところはあったり、なんぞや?と。
突き詰めると嫌悪も苦手の感情も、強い不快感があったり嫌だなぁと思うことが意味合いにはあり、また両者ともに思い込みの範疇が大きくて、同じ要素があります。
違う点としては、苦手の方が「変わりたい」と実はどこか心の中では思っていてより対峙できる環境に近い気がしつつ、実際の行動してみた姿を想像することで「失敗したくない」とより跳ね除ける選択もしやすい、ことが考えられて、嫌悪のように嫌という感情があるより苦手の段階の方が向き合う対象として困難を要するように思いました。
だからこそ、私は○○が苦手だから、と自ら課してしまっていることが大きな障壁だと根底をまず気が付くことが大切ですし、それを払うために例に提示して下さっているように自分の内面や過去を回想したりと分析が必要になることとがつながる感覚がありました。
自分の中の内面と調和させ、嫌悪や苦手と向き合ったことで全くの克服はできなくても得られるものがあるのでやはり、踏まえて乗り越えていくことをしていきます。
若菜さんのように挑戦する姿勢を取り続けていきたいです!
ありがとうございました。
若菜さん、とても美しい華麗な世界観を演出しながら記事の中身は「虫を食した」などという到底日常普通に生きていたら巡り合うことのない非凡な内容を書き起こされていましたので、驚きました。。
嫌なことと向き合うというのは自分をよくよく観察していないと「何に嫌悪を感じるのか?」が明確にならないことですし、まず日常の中で嫌悪に立ち向かう自分になるためにそこを見つけることから始めるのが重要なことなのではないかと今回の記事を読んで考えていました。
そして、虫というのは多くの人が嫌悪を感じているものだと思うので、嫌悪に立ち向かう自分になる在り方の習慣を身につけるために「虫を食してみる。」という若菜さんと同じ体験をそのままそっくりやってみるといいのではないかと思いました。
若菜さんの行動で、目を背けていたことを直視する勇気をいただきました!ありがとうございます!
若菜さん、嫌悪と向き合った勇敢な記事のご提供をありがとうございます。
そもそも「嫌悪」とは何か
ということすら考えたことがなく、
避けてきた事柄でした。
しかし一歩踏み出してみることで、
新しい視点が広がるということを
この記事を読んで体感出来ました。
実は嫌悪と思い込んでいただけで、
そんなに嫌なことではないのかもしれませんね。
まずは自分自身の日常生活において
コンフォートゾーンから抜け出すために
「あえて普段自分がやらないことをしてみよう」と思いました。
ワクワクする新世界への冒険に私も出てみたくなりました。
学びのある気づきをありがとうございます。
佐藤若菜さんのコラムの拝読
1時間で200匹のコウロギを食べて「嫌悪」と向き合った話[グロ注意]
この若きオーナーが営む昆虫食のレストラン、このお話し、実は私、数週間前にテレビで視聴しました。その時も、少し興味が有り、東京に行ったら、このお店を尋ねてみようか?と。
しかし、テレビで観た時よりも、何かお洒落で美味しそうな雰囲気を漂わすのは? 若菜さんの表現力の素晴らしさか?
で、私が感じたのは、何ごとも、不確かな、自分の先入観で、物事を判断しては、いけない!そうしていると、損をするよ!と、言われている感じがしました。本日も、素晴らしいコラムをありがとうございました。
タイトル拝見後数歩後退りし、そのまま数日熟成しておりましたが…この度、意を決して拝読致しました!
もう冒頭よりグイグイ引き込まれ、なんと作者があの若菜さん!という件では、白目を剥いて椅子から転げ落ちました。
具体と抽象を自在に往来する展開、グロを敢えてグロのまま上品な饗膳へと昇華させてしまう巧みな表現、コラムを超えたひとつの作品として楽しませて頂きました。
また読後は、「パラダイムシフトは自分次第」と、これからの嫌悪や困難との対峙を楽しみにさえ思えて来ました。嫌な事こそダウンサイジングして丁寧に対峙することで、意外とナンセンスだったり、逆に人生の転機をもたらす事件になるのかもしれませんね。これからの選択肢と人生の色彩が豊かになった思いです。ありがとうございます
若菜さん
貴重な体験談を有り難うございます。
先入観などからくる嫌悪感と向き合うには勇気がいるものです。
普段の生活でも体験しなくては分からないものがあるのでは、と考えさせられました。
有り難うございました。
小さい頃にイナゴや蜂の子を食べたことがあるし、ふだんの生活の中で虫をじっくり直視することがないので「料理」になった時の嫌悪感は実感ができませんでした。また、昆虫を見ながらシェフのお話を聞いている時に何を感じるか?も体験してみないとわからないなぁと思いながら読みました。
私にとっての嫌悪感は「爬虫類」だと思います。けど、料理として提供されるものは大抵臭みも歯ごたえも研究されていて「美味しい食材・料理」になっていると、テレビ「鉄腕ダッシュ」を見ていて思います。
今回の、若菜さんが昆虫を食べている場面が脳裏に浮かんだ時に感じたことの中で、私にとって一番大切なことは、ふだん食べている食材も「いのち」だというイメージです。
昆虫の命の短さ?は想像できて、昆虫は一生懸命生きているという印象があります。その「いのち」が私の身体の血肉骨になっている想像が浮かんできた時に、ふだん食べてるすべての食材に対する意識の薄さに気づきました。すべてが「いのち」という共通点を持つ平等な存在だということを意識して生きたいです。
素晴らしいテーマを提供して下さいまして、ありがとうございます!視点がズレていたらごめんなさい♀️
若菜さん
貴重な体験談のシェアをありがとうございます。
最初に題名を拝見した際夏のある日、家に入って来た銀蝿に殺虫剤をかけたところ無茶苦茶に飛び回った後コーヒーの中に飛び込み蛆を産みながら絶命していったという私の中では身の毛がよだつ出来事が思い起こされました。
それをぐっと堪えて読み進めると、多くの人が嫌悪するであろう昆虫食に真摯に向き合うお店のオーナーさんの熱量を感じ圧倒されました。
自分が良いと思うものを相手に伝えたい。その為に必要な事を丁寧に行なっていく姿勢にプロ意識以上の信念のようなものを感じました。
昆虫を食する事はとんでもなき壁がありますが、揺らがない信念のもと生み出された昆虫食を乗り越える事が出来たら蠅の親子入りのコーヒーをも笑顔で飲み干せる日が来るのだろうかと思いを馳せております。
はじめまして!
とてもショッキングなお話でした。
私は虫が大の苦手で…
苦手を通り越して恐怖でしかありません。
きっと人生の中で食すことはないと思いますが、若菜さんの話に興味があり拝読させていただきました。
私にとって恐怖の存在をとても美しい言葉で表現されていてコレは本当に虫の話か?と思ってしまうほどでした。
嫌悪と向き合うとは勇気があることだけれど、それらを通り越した時に湧き上がる感情は経験という価値を生み出すんだなと思いました。まだまだ、私には経験出来そうにはありませんが、貴重な体験談ありがとうございました。ちなみに、ファンタグレープのあの色も毛○から出ている色だと聞かされてから飲めなくなってしまいました。
若菜さん、今回は大変貴重なコラムの共有をありがとうございます
いつも大変お世話になっております、EFに所属しております、あきといいます。
今回の『嫌悪とは、何ぞや』という視点から昆虫食への挑戦、読み進むに連れて若菜さんの世界観にどんどん引き込まれていきました。
またご紹介されてあった、お店のオーナー様の昆虫食に対する飽くなき探求心と昆虫たちに対する愛を感じずには、いられませんでした。
見た目には想像もつかない料理や飲み物の数々は、これを食せずして死んでしまうのが勿体ないと思ってしまい、それほどまでに“昆虫食”という嫌悪感を取り払われた食事は、まさに匠の技だと感じました。
そして、ここから『嫌悪』とは思い込みであるという、若菜さんの切り口が大変府に落ちるものでした。
我々が、日頃から何を持ってして“嫌だ”と感じているのか、それを追及すればおそらくほとんどの事柄を解消出来るのではないかと考えさせられました。
普段向き合うことのない『嫌悪』に立ち向かわれた若菜さんだからこそのお言葉、私も一つ自分の“嫌悪”に挑戦してみたい気持ちになりました。
大変ユーモア溢れ、洗練されたコラムをありがとうございます。
若菜さん、洗練された品のあるお写真と、冒頭の想いのギャップが激しくて目を疑いました。
「最もやりたくないことを敢えて挑戦してみる」ということは想像以上に難しいことですよね。
ましてや、多くの方が生理学的に嫌悪する “昆虫” を口にするなんて、言葉には表現できないほど心理障壁のあることだと思いますが、徹底して向き合う姿はもはや美しさすら感じます。
貴重な体験のシェアありがとうございました。若菜さんの次なる挑戦を楽しみにしています。
若菜さん
いつもお世話になっております。FFの富士岡直樹です!
とても素敵で所々狂気じみたシェアありがとうございます!!
僕は昔から虫は友達でしたが、それを食べるというのは虫が嫌いな人からしたら、嫌悪としか言いようがないですよね。
その嫌悪との対峙がこんなにも素晴らしい出会いばかりだと思うと、嫌いな物ってマイナスな面だけではないのかもしれないと思いました。
むしろ、思い込みや固定観念こそが恐ろしいですね。
コオロギラーメンやタガメのファルモン、普通聞いたらありえないと思ってしまいますが、若菜さんの記事を読んでいるととても体験したくなりました!文章の書き方の勉強、在り方の重要性を感じました!
改めて、貴重な体験のシェアありがとうございました!一度きりの人生、普通はやらないことをたくさんしていろんな経験していきます!
若菜さん
タガメのフェロモンは見た目がファンタ
みたいで美味しそうです!
虫は見た目はもちろんですが、
なぜそもそも無理な理由を考えた結果
夢に虫がいっぱいの部屋にいる夢を
見て飛んできたり踏み潰したのが
トラウマになってるからだと
言うのがブログで答えが出ました
ありがとうございました!
若菜さん、貴重な体験をシェア頂きありがとうございました!
そもそも自分自身が何を恐れているのか、改めて考えさせられました。昆虫は人と一番かけ離れた存在です。見た目も体の構造も、生息数も違い、唯一の共通点は他の動物と比べて数える程しかないと思います。
つまり、嫌悪の正体は自分と違う、理解出来ない存在に対して湧き出るものなのではないかと感じました。そしてそのアプローチ方法はその形を崩し、本質を取り出し理解しやすい状態にさせてあげる。これは人間関係はもとより、私の活動におおいに役立つものです。貴重な体験と共に素晴らしい気付きを頂きありがとうございました!次回の体験談も楽しみにお待ちしています。
若菜さん
「嫌悪」と向き合った話のコラム掲載をありがとうございました。
題名の時点で虫嫌いの私としては顔が引きつるものであり、時に画面を遠ざけながらで一度では文章の神髄に辿り着けないので再度コラムを拝読しました。
嫌悪との対峙は誰だって率先してはやりたくないし背けたい、でも一度は経験してみても常識の範囲でしたら死なないですし、突き詰めるところ自分で境界線を引いていたり、苦手意識や“自分は○○だから”との思い込みの範疇でしかないことを改めて気づかされました。
過去の自身の経験によりトラウマができてしまうように、苦手や嫌悪とも、対峙することやとりあえずでも“やってみる!”ことでしか乗り越えることはできなくて、五感で体感すること実経験に勝ることは無く、向き合ったことでしか見られない世界や学びがあるのでさまざまな世界をこれからももっと見にいきたいです。
また、このテーマは自分自身に矢印を向けることにも通じてくるように感じました。自分の嫌悪との対峙を避けるために環境や時間のせいにしたり、できない理由をあれやこれやと引っ張り出してくる、そんな経験が最近私の出来事にあったのであのときすごく避けていた自分がいたなということを振り返って痛感しました。今はあるきっかけでその嫌悪ゾーンから脱却できて日常も活動も自分らしくできているところがあると、嫌悪と向き合ったから自分を変えていけたことがあったので血迷ったときにはまたこのコラムまで戻って参りたいと思います。
たくさんの学びをありがとうございました。